はじめまして。おきよめセッションを行っている、ゆうきと申します。
私は1978年、神奈川県小田原市で超未熟児の双子として生まれました。妊娠31週、体重はわずか1350グラム。妹は980グラム。ふたりとも保育器の中で、生きるか死ぬかの状態でした。残念ながら、妹は1週間後に旅立ってしまいました。
保育器の中で感じた「寒さ」「誰も来てくれない」という体感は、のちに私が出会うインナーチャイルドの最も古い記憶でした。命を得た代わりに、私は「深い孤独」を手渡されたのかもしれません。
「目」に宿る宿命と覚醒
未熟児網膜症により、生まれて間もなく目の手術を受けました。右目は弱視に、左目も視力が非常に不安定なまま成長しました。激しい運動はできず、水泳だけ少しやりましたが得意ではなく、運動会やスポーツの記憶はあまりありません。
本と出会ったのは、そんなときでした。父がすすめてくれた歴史小説。司馬遼太郎を読む小学生。目は見えづらいけれど、想像の世界は自由で豊かで、そこに私の救いがありました。
高校卒業後には、右目の網膜剥離が判明。数日間、誰にも言えず、ひとりで「見えなくなっていく世界」に恐れを感じながらも、どこかでそれを受け入れてしまっている自分もいました。
浪人生活、哲学の本、社会への疎外感、そして「普通になりたい」と強く願う自分。けれど、心の奥にはいつも「見えないものを信じている自分」がいました。
株式ディーラーという、もうひとつの直感の世界
大学卒業後、念願叶って、株式ディーラーの仕事に就きました。数字の世界で、毎日緊張感とスリルの中に生きる日々。成果が全て。3ヶ月連続でノルマ未達ならクビ。そんな実力主義の世界で10年間、走り続けました。
でも実はこの仕事、スピリチュアルと似ている部分もありました。
「これは上がる」「これはダメ」——理由のない直感が、現実を動かしていく。見えない未来を感じ取る力。その感覚は、後に私が「エネルギーの流れ」を読み取る力の基礎になっていきました。
スピリチュアルとの出会い、そして転機
元パートナーがスピリチュアルに関心のある人で、一緒に瞑想会や勉強会に行くうちに、私は「ガイドの声が聴こえる」「空間が曇っている」ことを自然に感じるようになりました。
ある日、参加したスピリチュアルカウンセラー養成講座で、私は本格的に学びを深めることになります。
・前世リーディング
・ガイドとのチャネリング
・空間や土地、人の浄化(おきよめ)
・カウンセリングとインナーチャイルドの癒し
それまで私の「視えなかった目」は、いつしか「視えないものを感じる目」へと役割を変えていきました。
横浜でスピリチュアルカウンセリングルームを開業
5年間の学びを経て、横浜にカウンセリングルームをオープン。男性のスピリチュアルカウンセラーは珍しかったこともあり、たくさんの方にご縁をいただきました。
ですが、その後左目にも網膜剥離が発症。今度は「完全に視力を失うかもしれない」現実に直面しました。
このとき私は、大きな選択をします。
・スピリチュアルの先生から離れる
・カウンセリングルームを閉じる
・いちど、すべてをゼロに戻す
心身ともにボロボロになった私を支えてくれたのは、家族であり、実家であり、そして「もう一度、自分を癒したい」という深い想いでした。
再び光を取り戻すまで
茅ヶ崎に移住し、インナーチャイルドや占星術を学び直す中で、新しいパートナー・ハナと出会いました。彼女との生活、笑い、癒しを通して、私は「生きることが喜び」だと感じられるようになっていきました。
今、私は再び「おきよめ」という形で人と関わる仕事をしています。
土地、家、人、ご先祖さま。
目に見えるものも、見えないものも。
丁寧に時間をかけて、癒しと調和をもたらすこと。
それが、今の私の役割です。
見えにくさが教えてくれた、「視る力」
私は、生まれながらに目が見えづらい体で生きてきました。
でも、そのぶん——
人の声の奥にある本音を聴くこと
空間にただよう違和感に気づくこと
土地や家に宿るエネルギーを感じ取ること
ご先祖さまやガイドたちのメッセージを受け取ること
それは、すべて「見えない力」が教えてくれたことでした。
おきよめを通して、少しでも皆さまの人生が軽く、あたたかく、安心できるものになりますように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
必要な方に、私の声が届くことを願っています。